近隣施設のご紹介「白鳥山 法持寺」

今回は、熱田区白鳥にある白鳥山 法持寺をご紹介します。

法持寺は、天長年間(824~834年)に空海(弘法大師)が熱田神宮へ参籠した際に、日本武尊を慕い延命地蔵菩薩像を彫って小祠を建立したのが始まりとされています。

草創時は、日本武尊の御陵とされていた白鳥古墳の宝物を護持する寺ということで「宝持寺」という名称だったそうです。

1449(宝徳元)年に開山の明谷義光大和尚は曹洞宗(禅宗)として再興し、源頼朝の母方の家系である熱田神宮大宮司の千秋氏の菩提所になったそうです。

また、桶狭間の戦いに向かう途中の織田信長が立ち寄り必勝祈願をしたと伝わっているそうです。

そして、承応年間(1652~1655年)に現在の法持寺に改称されたそうです。

1757(宝暦7)年の白鳥大火の延焼によって寺院が全焼したそうですが、十五世督宗淳董大和尚によって七堂伽藍が建立され、四方城壁を具えて城郭のごとく再興しました。その様子は、「尾張名所図会」にも紹介されるほどだったそうです。

1945(昭和20)年に戦災で本尊、開山像などを残して全山を焼失しました。1955(昭和30)年5月に戦災復興都市計画によって元々の境内の場所は、名古屋市立宮中学校となり、現在の場所へ移転しました。

また、東海道の近くにあることから、文人墨客が訪れた場所でもあり、松尾芭蕉、林桐葉、若山牧水の歌碑などが境内に残っています。

1957(昭和32)年より30年間、三保ヶ関部屋の宿舎となり、その間に横綱・北の湖が誕生しました。北の湖の句碑や三保ヶ関親方が足腰の鍛錬で使用していた石を撫でると強くなれるとされる撫で石なども境内に残されています。

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マルタ不動産 髙木