愛知県ゆかりの偉人といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑ですが、昨年の大河ドラマにも登場していたある偉人の出生地が熱田区にあるのはご存知でしょうか。
今回ご紹介するのは、鎌倉幕府初代征夷大将軍、源頼朝の出生地として有名な誓願寺です。
誓願寺は、1529(享禄2)年に日秀善光上人(妙光尼日秀)が織田信長の父である織田信秀の援助のもと創建された浄土宗の尼寺です。
1590(天正18)年には、豊臣秀吉の母である大政所が参詣したと伝えられています。その後、1600(慶長5)年の火災で伽藍什物が焼失しましたが、豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼の命で再建されました。
後に尾張藩が山門などを修理し、寺領も寄進し、代々信仰されていたそうです。
また、俳人である松尾芭蕉も熱田神宮訪問の際に、景清社と誓願寺も訪れたそうです。
誓願寺が創建される前には、この場所には熱田神宮大宮司藤原氏の別邸がありました。
源頼朝の母である由良御前は、大宮司藤原季範の娘で、里帰り出産のため熱田の実家へ帰っていて、その別邸で頼朝を出産したとされています。
また、現在は熱田神宮境内に移転していますが、誓願寺の横にはきよめ茶屋があったそうで、熱田神宮の参拝者は、そこで身を清めた後、参拝にむかっていたそうです。
このきよめ茶屋のあった場所には、平清盛へ幼い頼朝の助命を嘆願した池禅尼の「池殿屋敷」があったとも伝えられているそうです。
しかし、1945(昭和20)年6月9日の空襲によって、本堂などが炎上し焼失、同じく源頼朝誕生地である頼朝祠や隣の池跡に大きな石で積み重ねた源頼朝公産湯ノ井戸も破壊され焼失したそうです。
戦後、誓願寺が再建された時に、源頼朝誕生の伝承を惜しむ人々により、池跡に再び源頼朝産湯ノ井戸のみ設けられました。
現在の誓願寺は、金の葵の御紋を付けたコンクリート造りの近代的な本堂で、かつて本堂があった場所は、現在駐車場になっており、駐車場入り口にある山門も葵の御紋があります。
葵の御紋といえば、徳川家の家紋ですが、本堂と山門に葵の御紋があるのは、誓願寺の開祖である日秀善光上人が織田家に人質として送られた徳川家康の教育係だったことと、前述した尾張藩の影響などが理由だそうです。
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熱田ぐるりんマップ「熱田三大古墳・高座結御子神社コース
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マルタ不動産 高木